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大阪高等裁判所 昭和61年(う)661号 判決

主文

原判決を破棄する。

本件を神戸地方裁判所に差し戻す。

理由

控訴趣意第一(事実誤認の主張)について

論旨は、要するに、原判決は、本件各公訴事実(前方不注視による死亡事故、轢逃げ)につき、被告人を有罪と認めたが、被告人は本件各犯行を犯していないのであるから、原判決は、事実を誤認したものである、というのである。

そこで、所論と答弁にかんがみ、記録と証拠物を精査し、かつ、当審における事実取調べの結果をも併せて検討するのに、原判決は、以下の理由により破棄を免れない。(なお、原判決書には、「罪となるべき事実」及び「法令の適用」の各記載のほか「証拠に基づく認定と判断」と題する詳細な説示があるが、通常の有罪判決におけるような、「証拠の標目」の標題のもとに「罪となるべき事実」の認定に必要な証拠の標目を羅列的に一括挙示した部分がないので、一見すると、原判決は、刑事訴訟法三三五条一項により有罪の言渡しをするのに必要とされる「証拠の標目」の記載を欠いているように思われないでもない。しかし、原判決は、前記「証拠に基づく認定と判断」の一、二項において、本件各公訴事実につき被告人を有罪と認めるのに必要な具体的事実関係を詳細に認定する前提として、その各冒頭に、右各事実関係の認定に必要な証拠を列挙しており、これによつて、前記法条の趣旨は実質的に満たされていると認められるので、原判決は、特に「証拠の標目」の項目を別に設けてはいないけれども、理由不備の違法があるとはいえない。)

一公訴事実の要旨と原判決の結論

本件各公訴事実の要旨(ただし、原審第九回公判で起訴状を一部訂正)は、

被告人は、

第一  自動車運転の業務に従事するものであるが、昭和五六年三月二六日午後六時三八分ころ、普通乗用自動車を運転し、兵庫県佐用郡南光町西徳久一、〇九九番地の一先の交通整理の行なわれていない交差点を三河方向から徳久方向に向け通行するに際し、前方を注視して横断者の早期発見につとめ、もつて事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、前方を注視しないまま、時速約五〇キロメートルで同交差点に進入した過失により同交差点内を右から左へ横断中の真柴佐奈江(当時五年)に自車右前部を衝突させて転倒せしめ、よつて同児に対し脾臓破裂、左腎臓破裂の傷害を負わせ、同日午後一一時六分同児をして同郡佐用町佐用一、一一一番地佐用共立病院において、右傷害による失血により死亡するに至らしめ

第二  前記々載の通り、真柴佐奈江に対し傷害を負わせる交通事故を起こしたのに、直ちに車両の運転を停止して同人を救護する等必要な措置を講ぜず、且つ事故発生の日時場所等法令の定める事項を直ちにもよりの警察署の警察官に報告しなかつたものである。

というのであるところ、原判決は、被告人車の速度を、「時速四〇ないし五〇キロメートル」とした以外右各公訴事実と同一の事実を認定し、被告人を懲役一年八月に処した。

二控訴趣意の概要及び争点の所在

1  所論は、原認定の事実のうち、(1) 被告人と犯行との結びつき、(2) 被告人車と加害車両との車両の同一性、及び(3) 加害車両の被害者との衝突部位の三点を争うが、その余の事実には争いがなく、証拠上も明らかなところである。そして、右(2)(3)の点は、(1)の前提として争われているものであつて、本件における窮極の争点は右(1)の点に帰するけれども、被告人車と加害車両の同一性が肯認されれば、当時被告人以外の者が被告人車を運転していたという形跡は全く存しないから、犯行と被告人の結びつきも必然的に肯定される関係にある。従つて、本件における実質上の最大の争点は、右(2)の点であるといつてよい。

2  ところで、本件においては、被告人と犯行とを結びつける直接証拠は存在しない。すなわち、事故発生時にその付近にいた、唯一の目撃者である真柴良江(被害者の実姉、当時七歳)の供述によつても、衝突地点及びその状況の概略並びに加害車両がトラックでなく乗用車であることなどを認め得るだけで、具体的な犯人像の把握はおろか、加害車両の車種の特定すらできず、その後、本件犯行の嫌疑を受けて逮捕・勾留の上取調べを受けた被告人は、終始犯行を否認したため、その自白は得られていない。

3  捜査当局は、事故現場付近から採取した加害車両のものとみられる塗膜片ようのもの(のちに、自動車の塗膜片と確認。以下「遺留塗膜」という。)若干から、加害車両の車種・年式を割り出し、捜査線上に浮かんだ被告人車の車体の損傷の部位等から、加害車両が被告人車ではないかとの嫌疑を深め、同車の損傷状況を実況見分により明確にした上、同車から若干の塗膜片を採取して(以下、この塗膜片を「被告人車の塗膜」という。)、これと前記遺留塗膜等との同一性につき、兵庫県警察本部科学捜査研究所(以下「科捜研」という。)に対し鑑定の嘱託をするなどし、更に、被告人の主張するアリバイの成否をめぐり関係者の取調べをした。そして、検察官は、以上の捜査結果に基づき被告人を本件轢逃げ事件の犯人として起訴したものである。

4  従つて、本件において、被告人車と加害車両の同一性、更には被告人と犯行との結びつきに関する判断は、諸般の情況証拠を総合して行わざるを得ないけれども、中では、遺留塗膜と被告人車の塗膜の同一性等に関する科捜研技官の各鑑定が決定的に重要な意味を有し、後述のように、右各鑑定の証拠価値をどう評価するかによつて、本件についての結論が左右されるといつても過言ではない。

三原審段階における証拠関係の概要

1  細部についての検討に入る前に、原審段階における証拠関係を概観してみると、まず、原審において、検察官の申請に基づき取り調べられた証拠のうち、被告人車と加害車両の同一性を立証すべき主要な証拠としては、次のものがある。

(1)  被告人車の車体の損傷状況に関する司法警察員作成の昭和五六年四月一六日付実況見分調書(以下「4・16付実見」と略記する。他の書証についても右の例による。)

(2)  遺留塗膜及び被害者の着衣に付着していた塗膜片ようのもの(のちに、自動車の塗膜と確認。以下「付着塗膜」という。)と被告人車の塗膜との同一性に関する科捜研技官永浜静男作成の鑑定書(4・30付)並びに同人の原審証人としての供述(以下、右鑑定書を「永浜鑑定」、同人の証人としての供述を「永浜供述」、ときに両者を一括して単に「永浜鑑定」ということがある。以下他の鑑定についても同じ。)

(3)  遺留塗膜の一部と被告人車の塗膜の同一性に関する近畿管区警察局保安部鑑定官付技官藤原献志作成の鑑定書(4・28付)及び同人の原審証人としての供述

(4)  遺留塗膜の一片と被告人車の右フェンダー下端部の損傷部位の曲率の一致等に関する科捜研技官河合一郎作成の鑑定書(5・1付)及び同人の原審証人としての供述

(5)  被告人車の損傷部位の一部に存する再塗装部のアセトンによる溶解状況からその再塗装後の経過日数を推測した永浜供述

(6)  被告人車から採取された繊維片と被害者の着衣の繊維の同一性に関する科捜研技官信西清人作成の鑑定書及び同人の原審証人としての供述

2  次に、被告人のアリバイ主張の成否に関し、原審で取り調べられた証人としては、中井保、平田吉照、同洋子、同芳子、井上耕一、同千佐子(以上、検察官申請)、加藤正勝、平田正一(以上、弁護人申請)などがあるが、右のうち、井上耕一関係では、同人の検察官調書も、刑事訴訟法三二一条一項二号書面として取り調べられている。

3  他方、弁護人は、検察官の請求に基づき取り調べられた前記各鑑定書等の証拠価値を強く争う一方、前記アリバイ証人二名、及び事故現場等の検証、更には、被告人車の損傷状況と被害者の体格・負傷状況との整合性の有無を、物理的・力学的観点から明らかにするための鑑定などの各申請をし、原審においては、右各申請を容れて証人尋問及び現場等の検証を行い、また、鑑定人樋口健治に右の鑑定を命じている。

四原判決の理由の要旨

1  原判決が、「証拠に基づく認定と判断」の項において、被告人を本件轢逃げ事故の犯人であると認めた理由として指摘する諸点のうち、重要と思われるものを列挙してみると、次のとおりである。

(1)  永浜鑑定及び藤原鑑定により、遺留塗膜と被告人車の塗膜とが、色、層の数、無機元素成分の諸点でそれぞれ一致し、一部に共通の小ふくれ現象があることから、同一の自動車の塗膜と判断されていること

(2)  河合鑑定により、遺留塗膜中の最大の一片が、被告人車の前部右フェンダー下端部の塗膜脱落部分の一部によく合致し、曲率においても一致することから、被告人車から脱落したものと判断されていること

(3)  永浜鑑定により、付着塗膜と被告人車の塗膜も、色調検査や化学検査の結果において一致するとされていること

(4)  4・16付実見により、被告人車には、ボンネット、ライトグリル、右フェンダー下端部その他に多数の小さな損傷があり、右の三個所は、同色塗料で再塗装されていることが明らかにされたこと

(5)  右実況見分の際、前記永浜が被告人の了解を得て再塗装部分をアセトン液で溶解させたところ、容易に溶解して発錆していない素材の鉄板等が露出したこと

(6)  被害者の受傷部位と被告人車の損傷部位の相関関係も合理的に説明し得ること

(7)  以上の点からみて、被告人車と加害車両との同一性に疑いを容れる余地はないこと

(8)  被告人の主張するアリバイは成立しないこと

(9)  遺留塗膜の大きさに関する3・26付実見の記載が、永浜・河合両鑑定において遺留塗膜として使用されたものの大きさと一致しないことは、捜査の経過にかんがみ、鑑定資料のすりかえを疑わせるものではないといえること

(10)  遺留塗膜五片が、すべて道路の南側端(加害車両の進行方向左側)から発見されたとされている点も、捜索の方法、当日の気象状況から考えると、被告人車の右前部と被害者が衝突したという認定と抵触しないこと

以上のとおりである。

2  右の指摘から明らかなように、原判決の有罪認定の決め手とされたのは、遺留塗膜・付着塗膜と被告人車の塗膜との同一性及び遺留塗膜と被告人車のフェンダー下端部の曲率の一致に関する捜査段階の各鑑定であり、これらの鑑定結果を除外しては、本件における有罪認定は甚だ困難であると考えられる。また、原判決は、前記1(5)の点を指摘するだけで、必ずしも明言はしていないが、前記永浜が、被告人車の再塗装部がアセトンにより容易に溶解したところからみて、右再塗装は、一か月以内のものと考えられる旨明言し、右再塗装部に関する被告人の弁解(約四か月前に車を譲り受けた際すでにあつたとするもの)を排斥していたことも、それが、その道の専門家による自信に満ちた供述であるだけに、原審の心証に大きく影響したものと思われる。なお、被告人車と加害車両の同一性に関する証拠のうち、前記三1(6)の繊維片に関する信西鑑定も、それ自体をみる限りでは塗膜の同一性に関する鑑定と並ぶ有力な証拠と思われないでもないが、原審証人山蔵明夫の供述をも併せ考察すると、その証拠価値を余り重視すべきでないと考えられ、現に原判決も、右鑑定を有罪認定の証拠に挙示していない。

五問題点の概要

1 所論は、種々の論拠を挙げて原認定を争うが、原判決説示の前記諸点のうち、前記四1ないし3指摘の各鑑定が、その指摘のような結論を示していることは明らかであり、また、4、5指摘の事実関係にも疑問の余地はない上、6、8、10に関する原判決の説示も、証拠上ほぼ首肯される。更に当審鑑定人青山武史作成の鑑定書(以下「青山鑑定」という。)が、河合鑑定の資料とされた塗膜と被告人車の塗膜の同一性につき、永浜・藤原両鑑定とほぼ同一の結論を示したため、所論の提起した各鑑定に対する疑問の一つ(その手法の正確性の疑問)が解消されて、これらの鑑定は、遺留塗膜として鑑定の資料とされた塗膜が被告人車の塗膜と同一の成分であると推定されるという限度では、強力な客観的担保を取得したといい得ると思われる。そして、以上のような多くの情況証拠を総合すれば、被告人車と加害車両の同一性、ひいては被告人と犯行との結びつきも、相当高度の確実性を有すると考えられ、所論の指摘する諸点のうち、例えば、事故後の被告人の行動が、重大な轢逃げ事故を惹起した犯人のそれとしては、いささか堂々としすぎている感があること、及び自動車の塗膜には、人の指紋におけるような万人(車)不同・不変の保証がないこと等の諸点は、それだけでは、被告人と犯行との結びつきに疑いを生じさせるものではなく、また、加害車両の衝突部位を争う所論や、アリバイの成立をいう所論の採用し難いことは、のちに説示するとおりである。

2 しかし、さらに考察するに、所論の指摘のうち、永浜・河合両鑑定において遺留塗膜として使用された塗膜の大きさが、遺留塗膜の大きさに関する書面上の記載と一致しないことから、右鑑定の資料とされた塗膜と遺留塗膜との同一性を争う点については、今一度慎重な検討をしてみる必要がある。なぜなら所論も指摘するように、もし、鑑定の資料とされた塗膜と遺留塗膜との同一性に疑問があるということになれば、各鑑定の手法の正確性などを問題にするまでもなく、鑑定の基盤が崩壊し、その証拠価値も無に帰するからである。もつとも、右所論の点も、すでに原審弁護人によつて主張されており、原判決は、右塗膜の大きさに関する記載等の不一致について、そのこと自体はこれを認めながらも、本件捜査の経緯等にかんがみ、それが、捜査機関による証拠(塗膜)のすりかえにつながる疑いはないとし、その理由を詳細に説示している。原判決の右説示は、それなりに肯認し得るように思われないでもないが、所論及び弁護人の当審弁論(以下、両者を一括して「所論等」という。)にかんがみ、また、本件において塗膜の鑑定の有する前示のような重要性等にも配慮して、なお慎重に検討を重ねた結果、当裁判所としては、右の点に関し、原審において十分解明されていないいくつかの重要な疑問点が存し、原審及び当審における記録並びに証拠関係のもとにおいては、原審の有罪認定を維持することはできないとの結論に達したものである。

以下、遺留塗膜と鑑定資料等との大きさの不一致に関する当裁判所の検討の結果を示すこととする。

六遺留塗膜と鑑定資料等との大きさの不一致について

1  まず、遺留塗膜、遺留塗膜として各鑑定の資料とされた塗膜、及び遺留塗膜の一部として原審に提出された塗膜(原審押収番号符号九の塗膜片ようのもの。以下「符号九の塗膜」又は、「証拠物たる塗膜」という。)の各大きさは、証拠上次のとおりであつたとされている。すなわち、

(1)  遺留塗膜(3・26付実見)

幅5mm、長さ7mm(以下「5mm×7mm」と略記。以下、同じ。)のもの一片及び2mm〜3mm四方のもの若干

(2)  永浜鑑定において遺留塗膜として使用されたもの(以下「永浜鑑定の資料」といえば、同鑑定において遺留塗膜として使用された塗膜を指す。他も、右の例による。)

3.0mm×5.1mmのもの一片(塗膜検査成績表欄の記載。ただし、鑑定資料欄には、単に「若干」とのみ記載されている。)。費消ずみ。

(3)  河合鑑定の資料

約5mm×約10mm(いわゆるアールのある塗膜)。費消されず、符号九の証拠物として原審に提出され、当審における青山鑑定で費消された。

(4)  藤原鑑定の資料

いずれも、数ミリメートル大のもの二片。必要な分だけ切り取つて費消し、残りを返却したとされている。

(5)  符号九の塗膜

約5mm×約10mm。河合鑑定の資料と同一。

2  これによると、各鑑定の資料とされた塗膜の大きさが遺留塗膜の大きさに関する記載と一致しないことは、所論等の指摘するとおりであると認められるが、原判決は、(1) 右のうち、河合鑑定の資料(すなわち、符号九の塗膜)と遺留塗膜の大きさの不一致について、別紙のような図面を付して図解の上、符号九の塗膜は、元来二個の塗膜であつたが、捜査の当初にセロテープで裏打ちされ一個に合体されたものであると推測し、他方、(2) 永浜鑑定の資料と遺留塗膜の大きさの不一致は、遺留塗膜の大きさの測定が、概要把握のための概測にすぎず、厳密な数値を求めることを目的としたものでなかつたことによるものとしている。そして、もし右の推測が正しいとすれば、符号九の塗膜が4・16付実見に記載された遺留塗膜の大きさより明らかに大きいことについての疑問が解消する上、捜査段階の鑑定で費消された塗膜の数(一応、三個と考えられる。)と証拠物として提出された塗膜の数(一個)の合計が、遺留塗膜の数(一応、五個と考えられる。)と合致しないこと等の理由を説明できる。

3 しかし、右の推測には、次の諸点で無理があるといわざるを得ない。すなわち、

(1) 原判決も認めているように、符号九の塗膜が、原判決添付図面(別紙図面と同一)の「」という一片と「」という他の一片を裏打ちして全体として一個にしたものであることを窺わせる供述は捜査・鑑定にあたつた関係者からは全くなされていない。かえつて、鑑定にあたり、符号九の塗膜のセロテープの裏打ちを外し、その曲率を計算したり、被告人車のフェンダー下端部と合わせたのち、再度セロテープで裏打ちをしたという河合は、当時の符号九の塗膜の形状につき、「四片にひび割れしており、鑑定中(セロテープを外ずす際)ひび割れが更に進行したので、検査終了後、自分で裏打ちした。」とするに止まり、これが、原判決の推測するように「」と「」の二個の塗膜から成るものであつたとは述べていないし、同人が、裏打ちを外した状態で曲率計算やフェンダーへのあてはめなどを行つたというところからすれば、右鑑定時において符号九の塗膜は、ひび割れはしていても、まだ完全に分裂した状態ではなかつたのではないかとの疑問さえ生ずる。

(2) 四月一四日の実況見分の際、永浜が、遺留塗膜中のアールのあるものを、被告人車のフェンダー下端部に合わせたことがあるが、その際の右塗膜の大きさは、「幅約〇・五センチメートル、長さ約〇・七センチメートル」とされていて(4・16付実見)、遺留塗膜中の最大の一片のそれと一致しているから、かりに、それが他の一片と裏打ちで合一されて符号九の塗膜になつたとすれば、右時点以降と考えるのが合理的であり、原判決のように、「捜査の当初」(その趣旨は、四月一四日の実況見分より前の時点の意と思われる。)において、すでに両者が合体されていたとはいえなくなる。

(3) 原判決のような推測をすると、添付図面「」の塗膜の大きさは、遺留塗膜中の最大の一片のそれとほぼ一致することとなるが、残りの「」の塗膜の大きさ(「2ないし3mm×5ないし6mm」となる。)は、「2mm〜3mm四方のもの若干」という残りの遺留塗膜の大きさと、なお顕著にくいちがうので、この不一致を、遺留塗膜の計測が正確なものではなかつたという原判決の説明によつて合理化し得るとは、にわかに考え難い。

(4) 藤原鑑定の資料も、「数ミリメートル大のもの二片」とされており、遺留塗膜の大きさと、やはりくいちがうが、この点の不一致についても、右(3)と同様の疑問が残る。

4  右のとおりであるから、遺留塗膜と鑑定資料及び符号九の塗膜の大きさの不一致が何故に生じたのかについての原判決の推測は、証拠上これを首肯し得る資料がなく、結局は単なる想像に止まるものといわなければならない。そこで、次に観点を変えて、右のような塗膜の大きさの不一致が、検査機関による証拠の(故意又は過失による)すりかえ又は混同の疑いと結びつくかどうかについて検討する。

まず、記録に基づき、本件事故発生後各鑑定書が作成されるまでの経過を日時を追つて整理してみると、次のとおりである。

三月二六日 事故発生

現場の実況見分、遺留塗膜採取(C−5mm×7mm、A、B、D、E−2ないし3ミリ四方のもの若干、右AないしEの符号は、4・16付実見の記載に基づくものであり、前示ないしとは異なる。)

二七日 遺留塗膜等の鑑定嘱託(科捜研へ。佐警発第一八二号)

二八日 被告人車から微物採取(塗膜も)

二九日 微物の鑑定嘱託(科捜研へ。第一八三号)

四月一四日 被告人車の実況見分

被告人車の塗膜若干量(①ボンネット右側凹損部分、②右フェンダー下端部)を採取。遺留塗膜中最大の一片(幅約〇・五センチメートル、長さ約〇・七センチメートル)と被告人車の右フェンダー下端部との照合

被告人車の塗膜の鑑定嘱託(科捜研へ。第一八四号)

一五日 遺留塗膜中アールのあるものにつき鑑定嘱託(科捜研へ。第一九二号)

二〇日 遺留塗膜二片につき鑑定嘱託(科捜研から近畿管区警察局へ。第一〇二号)

二八日 藤原鑑定完成(四月二〇日―四月二八日)

三〇日 永浜鑑定完成(四月三日―四月二一日)

五月一日 河合鑑定完成(四月二〇日―五月一日)

5  原判決は、ほぼこれと同旨の捜査経過を認定した上で、次の諸点を論拠に、塗膜のすりかえ等はなかつたとしている。すなわち、

(1)  永浜への鑑定の嘱託は、何ら作為の必要のない早い時期(事故の翌日)になされていること

(2)  右嘱託に伴い、遺留塗膜は、捜査の現場とは区別される科捜研に送付されていること

(3)  符号九の塗膜は、遅くも四月一四日の実況見分の際には存在していて、被告人車のフェンダー下端部との照合に使用され、その後河合鑑定の資料とされたと認められるが、四月一四日の被告人車のフェンダー下端部との照合は、同部の塗膜脱落箇所の再塗装をアセトンで溶解し、その結果発現した金属部分に対して行われたものであるから、捜査機関において、予めこのような部分に合う塗膜を不正に作出することは不可能であること

(4)  三月二八日の微物採取の際、捜査官が被告人車の塗膜を同時に採取したとしても、その際、フェンダー下端部から塗膜が採取されたとは、被告人も供述していないこと

6 原判決指摘の諸点のうち、(1)(2)(4)は、証拠上いずれもこれを首肯し得るところであるが、(3)については、にわかにこれを是認し難い。なぜなら、前示の認定から明らかなように、四月一四日の実況見分の際、永浜によつて被告人車のフェンダー下端部との照合に使用された塗膜の大きさは、4・16付実見上「幅約〇・五センチメートル、長さ約〇・七センチメートル」とされているのであつて、その大きさからみても、これが、河合鑑定の資料及び符号九の塗膜と同一物であるとは直ちには断じ難く、むしろこの点において同一性には重大な疑問があるというべきであり、そうだとすると、前記(3)の推論の重要な前提が一挙に崩れ去るといわざるを得ないことになる。また、本件において、特に永浜は、科捜研技官という立場ながら、警察からの嘱託に応じ、随時実況見分にも立ち会い、捜査方法についての指導・助言をするなど、所轄警察署との緊密な連携のもと捜査にかなり深入りしていた状況が窺われ、純粋に科学者として第三者的立場で鑑定を求められた場合と全く同視し得るかどうかについての疑問が払拭し難い。そうであるとすると、鑑定資料が、捜査の現場と組織上一応区別される科捜研へ、比較的早い段階で送付されたという一事から、以後の手続の公正が完全に保証されたということにはならないから、原判決説示の前記(1)(2)の論拠だけでは、永浜・藤原両鑑定の資料が、遺留塗膜以外のものではあり得なかつたと認めることは早計にすぎる。従つて、本件において、遺留塗膜と鑑定資料の同一性に疑いはないとする原判決の説示は、全体として、直ちにこれを肯認することはできない。

7  ところで、そもそも本件において、遺留塗膜と鑑定資料の同一性の確認をかくも困難にしている理由は、記録及び原審に現われた証拠によつてみる限り、次の諸点にあると思われる。すなわち、それは、

(1)  遺留塗膜の大きさ等が、前記1(1)記載の程度にしか明らかにされておらず、その写真や見取図がないのはもとより、厳密にはその個数すら特定されていないこと

(2)  被告人車の塗膜の採取についても、その手続を明確にする資料がなく、どのような形状・大きさの塗膜を、どのような部位から何個採取したのかを、記録上知り得ないこと

(3)  遺留塗膜も被告人車の塗膜も、鑑定のため永浜らが一括して保管しているのに、鑑定のため費消したとされる塗膜の個数も明らかにされていないことなどである。

本件のように、直接証拠の全くない轢逃げ事件において、塗膜の鑑定が、加害車両の特定上決定的に重要な意味を有することは、捜査関係者の間においては自明の理といつてよいであろうし、ことが、微細な塗膜片に関するものであるだけに、万一にも、証拠物のすりかえや混同を疑われることのないよう細心の注意をもつて、捜査・鑑定にあたるのが通常であり、その旨を明確にしておく措置をとつておくべきものであるが、記録及び証拠上は、それが前示のように不明である。しかし、この点は今しばらく措くとし、更に、進んで、符号九の塗膜が遺留塗膜ではなく被告人車の塗膜ではないのかという疑問につき、なお若干の検討を加える。

8 さきにも指摘したとおり、河合鑑定の資料と符号九の塗膜は同一物であると認められ、河合鑑定の段階において右塗膜が現存していたことは明らかである。従つて、遺留塗膜と被告人車の塗膜がかりにすりかわつたとすれば、それは河合鑑定までの間であるということになるが、それでは、それまでの間に、捜査官側においては、遺留塗膜の一つに大きさの似た、しかも被告人車のフェンダー下端部と曲率の合致する被告人車の塗膜を入手する機会が全くなかつたといえるのであろうか(もし、この点が肯定されるのであれば、本件における遺留塗膜と鑑定資料・証拠物たる塗膜の大きさの不一致は、証拠物の計測・保管のずさんさを示唆するに止まり、結局において、遺留塗膜と被告人車の塗膜のすりかえという重大な疑問には結びつかないことになり、原審の有罪認定は、なお維持され得る余地がある。)。記録によると、河合にアールのある符号九の塗膜の鑑定が嘱託された四月一五日までの間に、警察が被告人車の塗膜を採取する機会は、二回あつたと認められる。すなわち、一回目は、三月二八日に行われた被告人車からの微物採取の際であり、二回目は、四月一四日に行われた被告人車の損傷状況に関する実況見分の際である。右のうち、一回目の機会に塗膜の採取が行われたとする明確な記録はないが、被告人は一貫してその際塗膜が採取されたと主張しており、原審証人原田力の供述もこれを肯定する趣旨と認められる。しかし、原判決も指摘するとおり、被告人自身も、その際採取されたのは、「ボンネット上二か所、ライト外側一か所」(4・16付実見)であつたとしており、問題のフェンダー下端部から採取されたとは供述していないから、右採取の際に、被告人車のフェンダー下端部とその曲率が完全に一致するような塗膜が採取された疑いは、まず存在しないと考えてよい(ただし、永浜・藤原両鑑定人が遺留塗膜として鑑定の資料とした塗膜は、大きさ・形状に格別の特徴がないから右の段階で採取された被告人車の塗膜によつてこれに代替させることは、不可能ではない。)。しかしながら、二回目の採取の機会には、被告人車の「ボンネット右側凹損部」と並んで、問題の「右フェンダー下端(前輪上部)」からも塗膜が採取されていることが明らかであるから(4・14付任意提出書等)、これが、のちの河合鑑定において、遺留塗膜として使用された疑いがないのかどうかは、慎重に検討されなければならない。

9 右8において指摘した疑問は、四月一四日の実況見分の際、永浜により被告人車のフェンダー下端部との照合に使用された遺留塗膜の大きさが、「幅約〇・五センチメートル、長さ約〇・七センチメートル」とされていて(4・16付実見)、遺留塗膜の最大の一片に関する3・26付実見の記載と合致しているのに対し、その翌日嘱託された河合鑑定においては、これが突然約5mm×約10mmという大きさになつている点からみて、あながち突飛な想像とばかりはいえないと思われる。もつとも、右の点につき、河合鑑定は、被告人車のフェンダー下端部の塗膜の「脱落こん跡と採取こん跡との境界は、肉眼ではつきり認められた。」としており、右記載は、添付の写真4からみて、一応措信し得るようにも思われる上、同鑑定においては、符号九の塗膜は、右の「採取こん跡」ではなく「脱落こん跡」と曲率の対比がなされたとされているのであるから、符号九の塗膜が四月一四日の実況見分の際に採取された塗膜ではあり得ないという結論は、一見、これを支持してよさそうにも思われる。また、右実況見分の際、永浜は、被告人の了解を得て、被告人車の再塗装部(ボンネット、ライトグリル、フェンダー)をアセトンで溶解した上で遺留塗膜との照合を行つたとされているので(4・16付実見)、そのような機会に、すりかえ用の塗膜を採取するのは、とうてい不可能であるとの見解もあり得よう。しかしながら、4・16付実見では、永浜がアセトンで再塗装部を溶解して露出させた鉄板、金属部には、「発錆は認められなかつた。」とされているのに、実況見分の当日に撮影された筈の添付写真35(なお、三五枚の添付写真の撮影日時は、すべて「昭和56年4月16日午前10時30分〜午後2時30分の間」とされており、実際にこれを撮影したのが四月一六日であると考える余地もないではないが、実況見分の日時は、四月一四日の午前一〇時三〇分から午後二時三〇分までであることが明らかであるから、前記写真の撮影月日は、「4月14日」の誤記と認めるのが相当と考えられる。)、及び特に、その翌日の四月一五日に撮影された旨明記されている河合鑑定添付写真4には、発錆ではないかと思われる状況が認められる(前者によつてもある程度、後者には明瞭に)ことからすると、前記実況見分調書の記載及びこれに副う永浜供述、更には河合鑑定等をも、どこまで信用してよいのかということにすら疑問を抱かざるを得なくなる。また、被告人の当審供述によれば、被告人車は、四月一四日以降被告人が逮捕された同月二二日まで引続き佐用警察署に事実上保管されていたというのであり、もしこれが事実であるとすると、警察は、四月一四日の実況見分以降においても、被告人車のフェンダー部の塗膜を採取したり、その写真を撮影したりする機会があつたことになるのであつて、河合鑑定の資料が、このような機会に採取された塗膜ではなかつたかという疑問も、全くないわけではない。

このようにみてくると、符号九の塗膜が遺留塗膜ではなく被告人車そのものの塗膜だつたのではないかという疑問は、いまだ解消されるに至つていないというべきである。

10 なお、ここで、被告人車の再塗装部のアセトンによる溶解状況からみて、右再塗装は、一月以内のものと推定される旨の永浜供述について一言する。右供述は、前記四2において一言したとおり、原判決の心証形成に大きく影響したと思われる重要な証言であるが、被告人は、当審公判廷において、被告人が現実にアセトンで車の古い修理箇所を拭いたところ、一〇秒もかからずに溶解した旨供述している。そして、ラッカーを使用した簡易塗装部分のアセトンによる溶解状況により、その塗装後の経過期間を推定することが果たして可能であるのかについては、常識上疑問を容れる余地があり得るのであつて(なお、右推定の根拠に関する永浜供述は、明快でない。)、塗膜の同一性に関する永浜鑑定にすでに指摘したような疑問が払拭されないことをも考えると、アセトンによる溶解状況から再塗装後の期間を推定した永浜供述の信用性も、再検討してみる必要があるのではないかといわざるを得ない。

11 以上の検討によつて明らかなとおり、遺留塗膜と鑑定資料等の大きさの不一致に端を発する、鑑定資料及び符号九の塗膜が遺留塗膜ではなくむしろ被告人車そのものの塗膜であつたのではないかという疑問は、証拠上いまだ解消されているとは認められず、本件において塗膜の鑑定の有する証拠としての重要性にかんがみると、検察官において、遺留塗膜の計測・保管状況、被告人車の塗膜の採取・保管状況、これらの塗膜の各費消状況、更には、符号九の塗膜の裏打ちのなされるに至つた時期・理由等を明らかにすることにより、遺留塗膜と鑑定資料等との大きさの不一致が、捜査官による資料のすりかえ・混同等の重大な疑問に結びつくものでないことを立証しない限り、被告人を有罪と認めることはできないといわなければならない。

七補足

なお、所論は、加害車両の右前部が被害者と衝突したものではないこと、及び、アリバイの成立することをも主張しているのであるが、原審及び当審の記録や証拠に照らして調査すると、右各主張は、いずれもこれを採用することができず、かえつて、(1) 加害車両とされている被告人車の右前部の損傷状況が、被害者の受傷状況及び転倒位置等から推定される衝突の態様と矛盾するものではないこと、(2) 被告人が、本件事故発生の時刻に接着した時間帯に、被告人車を運転して、加害車両と同方向から本件事故現場を通過した疑いが強いことなどの点が証拠上肯定されるのであつて、これらの点は、他の証拠次第によつては、むしろ、被告人と本件犯行との結びつきを認定する上である程度の意味を有する情況証拠であるといえる。しかしながら、被告人と犯行との結びつきにつき直接証拠の全く存しない本件において、情況証拠を積み上げることにより被告人を有罪と認めるためには、その情況証拠の証拠価値について、質及び量の両面から慎重な検討の求められることは当然である。そして、そのような観点から考えてみると、前記(1)(2)の点などは、塗膜の同一性の鑑定に関する前記六指摘の疑問が解消された場合に、右鑑定と併せて有罪認定の根拠の一つになり得るものではあつても、右疑問が残る以上、その余の前叙の諸情況証拠を、種々の角度から総合してみても、いまだ被告人が本件衝突事故の犯人であると認定することはできない(合理的疑いを越える証明があつたとは評価し得ない)。

八結論

叙上説示のとおりであつて、これを要するに遺留塗膜と鑑定資料・証拠物たる塗膜の大きさの不一致等については、原審弁護人においても具体的な指摘をしていたのであり、本件における塗膜の鑑定の有する重要性及び本件の捜査経過等に照らせば、原審としては、検察官に立証を促すなどして、前記六指摘の疑問を解消した上でなければ、被告人を有罪と認めるべきではなかつたというべきである。しかるに、原審は、ことここに出でず、直ちに被告人を有罪と認めたものであるから、原判決は、審理を尽くさず、ひいては事実を誤認したものといわざるを得ない。

よつて、その余の論旨(量刑不当の主張)につき判断するまでもなく、刑事訴訟法三九七条一項、三七九条、三八二条により原判決を破棄した上、同法四〇〇条本文に則り、更に審理を尽くさせるため、本件を原審(神戸地方裁判所)へ差し戻すこととし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官野間禮二 裁判官木谷明 裁判官生田暉雄)

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